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俳句同好会 第20回句会報告

更新日:2016年3月22日

報告 宮本

日 時:平成27年6月22日(月)18:00より
場 所:事務局地下会議室にて
出席者:春田風遊子、安藤猪突庵、馬鳥笑馬、片岡正行、三浦実光、宮本瓢六(6名)
選句のみ・・・馬鳥恵子、神山玲子

兼題:「五月雨」「さくらんぼ」  題詠「色」
投 句 選 者 作 者
五月雨や直立不動自衛官 笑・恵・風・玲 瓢六
五月雨や傘の花咲く交差点 笑・恵・実・猪 正行
五月雨の雲巻き立ちて谷渡る 笑・風・正・瓢 猪突庵
値札見て驚き吐息さくらんぼ 恵・正・実・玲 風子遊
咲き濡れた紫陽花の道色重ね 恵・正・風・猪 実光
我が色に染まらぬ妻や立葵 笑・遊・猪・玲 瓢六
 

今回は投句38句のうち、6句が4点句となりました。そのうち4句を笑馬・恵子さんが選んでいます。厳密にいえば、高得点が必ずしも優秀句とは限りませんが、人気のあった句には違いありありません。
さて、今回は選句、披講の後の雑談の中で、笑馬さんから出されたテーマについて考えたいと思います。鑑賞のときに、よく「この句は事実を言っているだけだ」といわれるが、どの句も事実をいっているのではないか、良いとされる句はどこが違うのか、ということです。
実はこの問題は私も長年悩んできたテーマでした。最近思うことは、目から入った事実を単に言葉に置き換えただけのものと、一度飲み込んで心に落としてから、心の発露としての表現があるかどうかの違いではないかと思っています。
言い換えれば、単なる記録報告・説明と詩として詠んでいるか否かの違いだろうと思います。俳句は詩であると腹に収めたとき、俳人は詩人であります。
詩人はビジネスマンでもなければ、ジャーナリストでもありません。事実の正確さよりも、感動の表現者でなければなりません。ということは、感動の心がなければ作句は出来ないという事になります。逆にものごとに感動できるピュアな心があれば、だれでも俳句はつくれるということでもあります。あとは、訓練しながら表現力を積み上げていく事です。うけをねらったり、説教くさくなったり、浪花節になったりの読み手を意識した句に名句はありません。 次回また。

次回 8月24日(月)18:00より 事務局地下会議室にて
兼題:「噴水」「海月」 題詠「夏」その他計6句

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